tori-ojisanのブログ

何気ない毎日を幸せに感じられるようになりたい

坂東三十三所観音巡礼開始

f:id:tori-ojisan:20231204001117j:image

観光のついでに、これまで色んな神社仏閣を巡り、ご朱印帳も気づけばこんなに増えました。

目的もなくご朱印を集めている中で、関東三十六不動尊霊場を意識して回り出したのが2020年ぐらい、最初に関東三十六を頂いてから6年越しの2023年11月、36箇所全てコンプリートしました。

約1年、巡礼ロスになっていましたが、今回、たまたま訪れました、坂東19番の大谷寺、坂東18番の中禅寺が素晴らしく、新たに「坂東三十三所観音」を巡ろうと思い経ちました。たまたまとは、テレビで平和時代に作られた石仏を見て、行ってみたいと思い、それが、坂東19番の大谷寺であったと言う事です。

f:id:tori-ojisan:20231204004947j:image

f:id:tori-ojisan:20231204005226j:image

画像は、撮影不可の為ネットからですが、平安時代と言えば、1.200年以上前のものです。アフガニスタンの僧侶がシルクロードを超えて、海を渡り日本迄辿り着き作ったものとされています。更に驚きなのが、大谷寺の下から、1万1千年前の縄文時代の人骨が発掘されている事です。

f:id:tori-ojisan:20231204010404j:image

お寺の展示室に土器と合わせて人骨も展示されております。実際見てみると、非常に綺麗な状態で歯も全て残っておりました。20前後の男性との解説ですが、骨から、現代人よりもかなり小柄で、歯は小さく、数はかなり多い印象でした。

f:id:tori-ojisan:20231204011428j:image

わかり難い写真ですが、お寺は岩山にくっつけて建てられております、この岩山に縄文人が竪穴式住居を作り住んでいたとの事です。

簡単なググり勉強ですと縄文初期の人口は、2万人との事、今でこそ日本は、狭いと言われていますが、当時の人口密度で作られた住居後に、平安時代アフガニスタンから来た僧侶が全く同じ場所石仏を作った事、私は物凄く神秘的に感じました。必然的な要因があるのか、土地に何らかの力があり、そのようになるのか調べてみたいと思っております。

f:id:tori-ojisan:20231204014705j:image

大谷寺に感嘆し、印象が薄くなっていますが、同じ栃木で同じ日に行った中禅寺も平安時代の初め頃、日光山の開祖である勝道上人が船で湖を遊覧していた際に、湖上に千手観音の姿を感得し、桂の木に立木のまま千手観音像を刻んだとされているご本尊があります。実際に今も地面に埋まっているようです。(生えている木に彫ったのですから当たり前ですが)これはこれで歴史を感じます。

このようにインパクトが強い二カ所のお寺を最初に見てしまい、残りの31カ所がどのような所があるか多少不安ではありますが、それぞれ興味深い歴史、逸話があると思います。関東36は、6年掛かりました、坂東33は、何年掛かるかわかりませんが、休日の楽しみとして、気が向いた時に廻っていきたいと考えております。